▽ ブドウに緑、

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また会おうと手を振る最後の日。

今晩は。

唐突に十月から毎日を書くことを始め、無事に今年最後の日である本日も書き納めできることに満足顔である。

家族で豪華な食卓を囲み、お腹が膨れたまま二〇二二年は楽しかったよありがとうと肩を叩きながら思い出話に花を咲かせ、二〇二三年を迎えに行く。

今年も本当にあと少し。ありがとう。お世話になりました。明日からも宜しくお願いいたします。

 

二〇二二年、またね。

過去、未来、期待する冒険。

今晩は。

朝からケーキを買いに行く。ここぞとばかりにケーキを食べる理由を探している。「ケーキは誕生日の時にだけ食べるものではない。食べたい時に食べていいのだ。」と異国のアイドルがそう言って美味しそうなケーキを食べている動画を見たことがある。その通りである!とえらく納得し、其れからはこの心意気を大事に胸に持っている。しかし習慣というものには中々抗えず、どうしても理由を探してしまうのは致し方ない。本当は月一で食べたいと考えているというのに。

 

一晩中、冒険の世界を駆け回っていた。一通りの物語を主人公として体験した。それはもう「めちゃくちゃ感動した!」と声を大にして作品の関係者へ感謝と共に伝えたい程に、本当に感動した。おかげで興奮と涙で寝付けなかった。

幼き頃には誕生していた長きに渡り続くシリーズ、まだまだネタは尽きぬようである。寧ろ進化し続けている辺り、感服するばかりである。

記憶を消してもう一度観たい作品、記憶を消してもう一度したい作品、などという言葉を使って感動や興奮を表現することがあるが、まさに此れである。もう一度記憶を消してこの物語の中を生きたい。そんな風に思える作品に出会えたのはもしかして初めてではないか?と考えていれば、またしても眠りからは遠くなっていた。結局浅い眠りを数時間した頃には、とっくに朝日は登っていた。

令和のこの時代にまで新しい冒険へと旅立てることが有難過ぎて言葉がない。終わらない冒険にこれからも期待して、まだまだ今作の冒険を続けていく所存である。いい冒険をありがとう。

 

どうか、どうか、サントラを発売して下さい。

世界中に連休を。

今晩は。

美容院に行ってきた。生憎あまり気に入ってはない髪型になったが、切り立てとは大体そんなものだろうと、馴染むのを早急に待っている。

シャンプー途中でいつものお姉さんから初めてのお兄さんに変わり、「あぁ、いつものお姉さん行かないでおくれぇ。」と心の中で叫ぶ。お兄さんには豪快な荒々しさがあり、私は貝になると決め、無心になった。しかし、頭上で咳をするお兄さんに何とも言えない気持ちが芽生え、「そうだよなぁ、多少の咳程度で仕事は休めないもんなぁ。休めるならとっくに休んでるよなぁ。」と荒々しく髪の毛が洗われていく中で、顔面に飛んでくる水飛沫の冷たいを感じると共に、お兄さんも大変だなぁとしんみりとした気持ちが胸を衝いた。その時にはいつものお姉さんを懇願する気持ちは無くなっていた。皆懸命に働いている。だから連休になった私はこうして髪を切りに来れているのだ。謝意を表する他ない。

という訳で、もう次にする髪型は決めた。早く切りに行きたいが切る髪の毛が無くなってしまった故に、もう暫くは伸ばす必要がありそうだ。どうしても理想の髪型にならず四苦八苦するこれこそが美容の醍醐味なのかもしれない。

今日もお仕事お疲れさまです。

勤めは納めて忘れよう。

今晩は。

本日、今年の仕事納めとなった訳であるが、久しぶりに感情が昂り、一人、部屋で文句をぶつぶつと垂れる事となった。そして無事にサービス残業を完了させ、晴れて連休の海へと飛び込んだ。わーい。子どもの頃の夏休み開始前日のように、嬉しい楽しいハッピーワクワクが止まらない、止められない。終業式があれば、今年もお仕事よく頑張りました、と自分に花丸と花束を渡そう。

さて、来たる連休であるが何をしようか。取り敢えずは髪を切りに行くぞよ!それから、それから…。

仕事が終わるとすっかり今年が終わったかのような気分になってしまう。しかし、そうではないのだ。と、昨日も書いた。まだあるのだ。連休を充実させる為に、お菓子を買い込み、積み本を手の届く範囲に配置し、やってみたかったことを集中的にやってみようではないか。そうして悦楽に浸ろう。

これからが本番である。さぁ、やるぞ!と鼻息荒く意気込み、爪に色をのせた連休前日の夜。明日に向かって、いざ眠る。

追い今年をおかわり。

今晩は。

シチューを食して大層上機嫌で仕事をこなした。年末年始という連休に何をしようかと夜な夜な考えを巡らせるだけで、もう楽しいが止まらない。連休とは甘美なものである。

明日も残りのシチューを食し、ルンルン気分で仕事納めをしよう。気になる事はあるが、今年最後くらい見猿聞か猿言わ猿で終わらせようではないか。そして残りの数日の今年を最後の最後まで味わい尽くしエンジョイとするのだ。今年はまだある、終わりじゃあない。最後の追い込みにいくとしよう。

光の先には。

今晩は。

あと少し。あと少し。その気持だけで仕事も頑張れるってもんだ。

キラキラしているものは時に眩し過ぎることもあるが、やはり良き活力を貰うこともできる。そうして私は今日も明日も必要以上に頑張れるのだ。

アイドルはいつまで経ってもアイドルで、ずっとキラキラと輝いている。

毎夜映画館へ参る。

今晩は。

ここ最近、猛烈に刺激的な夢を見ている。まるで映画の中にいるようである。味方だと思っていた先生が実は黒幕であったり、ルパンのように巷を騒がせる大泥棒になっていたり、毎度激しめのアクションシーンで架空の異世界を駆け回っている。毎夜物語の一員となり、楽しませてもらっている。昨夜はめちゃくちゃに良いところで目が覚め、めちゃくちゃに悔しい。

寒さで震える手を駆使して数枚の年賀状を書き終え、郵便局まで出しに行った。スーパーへ寄るとクリスマスの真っ只中であった。チキンチキンチキン。親子連れも沢山いた。家族ボリュームのチキンしかなく泣く泣く諦め、寒風に吹かれ帰宅した。

クリスマスだからか、今日はずっと歌を口ずさんでいた。勿論、オリジナルソングである。主に“寒い”という感情を全面に出した歌になっている。何も特別な事はない一日であったが、そんなクリスマスも特別な気がしている。良き日だ。メリークリスマス。

ニンマリ顔のサンタさん。

今晩は。

今宵はクリスマスイブ。都会へ出てみると、それはそれは沢山の人が群れのように連なっていた。その群れの一員に我もなってきた。昼食を食べるのに大層並び、美味しい中華を食した。以前に来たことのあるお店で、実に気持ちの良い接客であった定員さんが本日もいた。気分が上がった。好きです。

隣の男の子がお婆ちゃんにプレゼントを買ってもらった会話が聞こえてくる。八千円したそうだ。お金は足りたのか?との問いに、全然足りたよと返す。余ったお金は貰っておきなさいと、それを断るやり取りにマスクの下で思わずニンマリ。ええ孫やないか。

クリスマスを人の数で感じることができた。人混みは案外嫌いではない。待ち時間も苦痛ではないタイプである。下界で刺激された物欲で待望の靴を購入した。再びニンマリ顔である。

枕元に靴下は準備していないが、サンタさんはいつでもウェルカムである。

黒い鳥はペットにならない。

今晩は。

日記本のPDFがはてなブログからメールで届いた。沢山の人の毎日が其処には載っていた。とても楽しく拝読している。全て読み終えたらブログにも足を運んでみようかと思っている所存である。

朝、真隣から烏の鳴き声がして「五月蝿いなぁ。」と布団の中でもそもそと思っていたら、実はベランダに干していた干し柿が烏に襲われるという事件が起こった。干し柿は見るも無惨な姿になっていたそうだ。烏は大層賢いなと感心しつつ、我等も来年は烏に気を付けなければならないと、一つ賢くなった。

朝から実に愉快であった。

己と他との交わる所。

今晩は。

人と関わることは煩わしいと思うことがある。踏み込まれたくない部分に無遠慮に踏み込まれ防守したり、自分を偽って隠したり、実に困難であり実に面倒である。結局一人が一番楽だ。確かにそうだ、全て己一人だけに決定権がある。しかし、他者と関わることも同然に楽しいことだ。自分にはない観念を、新しい物差しとして取り入れることができる。そして何かを誰かと共有もできる、其れはきっと楽しいことであろう。他者との時間に楽しさを感じることができたなら、実に愉快適悦である。

ただし、此れは心の余裕に比例する。世知辛い世に生きる私達には仕方がないことである。己の心の平穏が最重要事項であり、先ずは自分を大切に守りながら、自分でない他者との関わりも大切にしていこうか。世知辛くも素晴らしきこの世である。きっと明日も素敵な一日になるだろう。

パジャマを脱いで赤い服を探す。

今晩は。

いとも簡単に行なっているようで、実は他人が想像する以上の量を練習しているものであるのだなぁ、ということを実感している。何事も簡単ではない。見せぬ努力を積み重ねている人が沢山いる。

寒さで朝も昼も夜も凍え続けている、特に手足が非常に酷い。ホットミルクを入れたカップで、手を温め仕事に向かっている。

もうすぐクリスマスがやって来る。サンタさんが来なくなってから随分と経った。故に己が己のサンタとなり、自分へのご褒美という名目を無駄に立てることで開放的に何かを買う季節となったのも、随分と前のことである。今年は靴が欲しいと、己というサンタさんへお願いしようと思う。丁度クリスマスに都会へ出かける予定がある、その時にお願いしようかしら、なんて。

クリスマスの時期になると、「クリスマスが今年もやって来る〜」の某チキンのCMを見て、ニッコリ顔で一緒に歌っている。あの歌が流れると笑顔でスキップしてしまうのは何故なのか。素晴らしい歌だ。「悲しかった出来事を消し去るように。パジャマを脱いだら出かけよう」と続く歌詞は、なんとも素敵な世界である。「クリスマスが今年もやって来る」の続きの歌詞を知った時、胸が躍った。パジャマを脱いで出かけよう!と思ったものだ。思わずケンタッキーを買いに行きたくなるほど、わくわくが止まらない、止められない。

大人になっても、ケーキを食べる、チキンを食べる、好きなものを買う、もしくは貰う、何でもいい、わくわくとした弾む気持ちを持って、クリスマスをクリスマスしたいものである。其処に子どもも大人も関係ない。商業的でもいいじゃあないか、楽しむ気持ちを満喫したいと呑気に思う、凍える大人が此処にいる。

暗闇の朝まで観た興奮。

今晩は。

あれ、もしかして昨夜はブログを更新していないのでは?はて。すっかり更新したつもりになっていた。ツモリナールである。

昨日は、一昨日から繋がったままの深夜、というよりは真っ暗な朝まだきまで決勝戦を観戦していた。簡単な言葉で失礼するが、めちゃくちゃ興奮した。実に良き試合であった、と素人な私が言う。にわかでしかないが、「あぁ、こんなにもおもしろいのか!」と終始興奮が全身を蠢いていた。四年後は予選から、しかと目に焼き付けるよう応援すると決めた朝であった。

僅か過ぎる時間の睡眠は起きれぬのではないかという恐怖心を抱えることとなる。其れならば、いっそ眠らない方がいいのではないかと考えもするだろう。しかし、そんな思考は刹那に霧のように消え去り、深海に沈むが如く深い眠りにつくのである。此れはほんの数秒の内の出来事である。爆音の目覚まし音が助けてくれたおかげで無事出勤は完了した。

なんだか十二月が充実しているようだ。毎日楽しいと対面しながら生きている。毎夜ブログを書くことで以前より一層そう思うようになった。そんな毎日に感謝したい、そう思った今がある。ブログを書いていなければ、この”今“も気づかぬ内に消えてしまっていたことだろう、何事もなかったかのように。思いと感想と、大切に向き合っていきたいものである。

アルゼンチン、優勝おめでとう。

こんな日を待っていた。

今晩は。

週末は電車に乗り、少し遠い場所までやって来た。想像以上の寒さと雨が辛辣であったが、お昼に大層美味な魚介を食し、あまりの美味しさに喫驚した。「また来ます!」と伝えて欣々然な表情で退店した。鰻が優勝であった。

其れから源泉の成分で肌を潤わせ、実に身になる話をたらふくした。時間が幾らあっても足りぬ程に話をした。毎度の事ながら、良き刺激をもらい、己の中が満たされていく。その満たしたものが再び己を刺激し、良き方向へと導こうとする。そうして私は小さく大きな一歩を踏み出し、一人では見つける事のできなかった場所へと歩み進もうとするのである。尊敬が鳴り止まない。

雨の中出かけ、学生のように食べたい物を不健康に買い、「学生みたいだ。」と笑い合った、この真っ暗な夕方を忘れたくない。時間が空こうとも真っ直ぐに学生時代の頃のように戻ることができる友人、いつも良き刺激をありがとう。

今宵の旅も大層楽しいものであった。隣で眠る友人を起こさぬように、画面の向こうでゴールを決める選手へと心の中で声援を送り、眠りについた。翌朝恐ろしい爆音の目覚まし音に驚き、覚醒しない頭で朝の湯へ、雪の中を駅へ向かう車、其れから電車を降りるまでの最後の最後まで楽しい時間が充満していた。

こんな日をまた共に過ごせることになろうとは、感謝と愉楽で胸がいっぱいである。本当にありがとう。友よ、また行こうではないか。

息巻く鼻息は荒い。

今晩は。

干し芋を食べたら、大層甘味が真っ直ぐにやって来た。こんなに甘いの!?

意識低子になっていたが、暫くは意識高子を意識して意識高子になろうではないか。自分を高めるのである。他でもない己の求める高みを目指して、己を高めるのである。ふんふんと鼻息を噴射しながら私は今、息巻いている。やってやんよってやつだ。

あぁ、人生が楽しい。そう思えるだけの事に沢山出会って、沢山実行しよう。そうだ、私は息巻いている。あれ、おかしいなぁ、もうこんな時間である。息巻いている場合ではなく、寝なくてはいけないのに身体の芯が暖かく、其れに伴って、小さく燃えているこの小さき興奮が私の眠気と肩を組んで盛り上がっている。詰まるところ、まだ暫くは眠れそうもないということである。

夜の音が響く夜。

今晩は。

来週辺りから忙しくなりそうだという雰囲気を感じ取り、静かに無の表情で微笑んだ。忘れよう、週末を楽しむことにしよう。

近所で工事が行われている。夜の方が部屋がしんと澄んだ沈静と化すため、工事の音がよく聞こえる。少し遠くの方から灰色の塊同士がぶつかり合う音が聞こえてくる。夜分遅くまで働いている人達が、其処にはいる。

そんな音を聞いていると、より夜を強く感じた。目蓋を閉じるも不眠症は健在で、きっと深夜と呼ばれる時間帯になるまで満足に眠りに落ちることはないだろう。

いつもより強く夜を感じながら、部屋を照らす淡い橙色の光から逃げるように布団の底に潜る。

そんな夜も案外嫌いじゃない。