▽ ブドウに緑、

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そんな日もある、痛い夜。

悲しみが止まらない。涙が止まらない。お腹が痛い。胸が痛い。ずっとずっと胸の奥が痛い。

コップのギリギリまで入った水は、いつでも流れ出ることができる状態のままゆらゆらと揺れている。入浴時間、寝る前の今の時間、音が少ない世界でいっぱいいっぱいの水が溢れ出す。

私はどうしたらいいのか。どうしたいのか。結論が出たのに未来が霞む。前が見えない。毎日泣きたい夜に涙が止まらない。止め方が分からない。悲しみか痛みか虚無か。すべてを諦めたら楽になれると思ったのに、どうやら全く違うらしい。

「苦しい」「しんどい」「助けて」と誰にも言えぬこの思いは、一体どこで浄化すればいいのやら、私にはすっかり分からない。声に出して伝えられたらいいのにな。言えないね。

今迄とはまるで違う、眠れる夜に吐き出す思いよ、どうか、空に帰って。

お腹が痛い。胸が苦しい。

旅立ちの前夜。

今晩は。

動き出す音がする。随分と前はこのゴールに向かって走ろうとしていたこともあったが、今はスタートだと感じている。ゴールという名のスタートである。いや、寧ろ実を言うと何も感じていない。実感が湧かないとはこのことである。

そんな日々を最近は駆けてきた。だからだろうか、少し疲れたのかもしれない。顎にニキビができた。立派なニキビである。よっ!と声をかけて潰さないように撫でた。

考える間を与えずにずんずんずんと進んでいく、否、進ませた列車は、気付けば己の想像より速く走って行ってしまったのだろうか。感情が追いついているようで追いつかない、なんとも思春期みたいな繊細な気持ちを抱く夜がまたと来た。

そういう時は無理せず流れに身を任せるのである。流れのままに己のままで。

たまには、ね。

今晩は。

昨夜のそんな夜は乗り越えるまでもなく、気付けば深い眠りに落ち、ぼやぼやとした意識と、確実に睡眠不足による疲労に襲われていれば、あれ?朝がやって来ていた。おはよう。

昨日の自分を慰め宥め、周りの人の力を借りてしっかりと宥めてもらい、取り敢えずは落ち着いた。周りからしたら実に迷惑甚だしいことである!!

久しぶりの感情であった。「やぁ、久しぶりじゃあないか!」と握手することとしよう。

ホルモンなのか?睡眠不足なのか?フラストレーションが溜まっているのか?正解は何処へ。

荒ぶる夜との付き合い方、まだまだであるな。

夜明けと共に晴れを願う。

今晩は。

眠すぎる夜に、さぞ厄介なことに追われていれば、気付けばこんな時間である。

入浴もできていない、気持ちは沈んでしまった、どうでもよくなった、一人になりたいと思った。悲しい気持ち少々と自由を叫びたい想いが溢れ出し、消化不良の胃と想いがずっしり重く苦しい。実に泣きたい気分である。

今が夜だから悪いのだ。此れが朝なら心の持ちようは違っていただろう。闇は深い、直ぐに迷ってしまいそうになる。そういう時は一旦立ち止まって涙を流そう。そう、朝まで。夜明けの陽光と共に、心の闇も少しは晴れるだろうと信じて疑わず一旦立ち止まるのだ。これ以上深く沈まないように。そんな夜は早く明けてしまえ!である。

 

はっぴーな出来事が、はっぴーだけで終えられればいいのにな。どうしてはっぴーだけでは、はっぴーを手に入れることはできないのだろうか。

ため息が止まらぬ夜もある。明日は天気も己も晴れるだろうか。晴れてくれと願うばかりである。眠いのに眠れない、そんな夜のこと。

余裕をくれよ。

今晩は。

スーパーに行くと噂通りお米が売っていなかった。無くなって初めて大切さを知るのである。失ってから気付くというやつは、なにも人だけが対象ではないらしい。

風邪を引いたら健康だったことが如何に有難いことなのか「風邪が完治したら健康的に過ごそうではないか!」と息巻いてみたりしても、気付けば怠惰なる日々を過ごして好き勝手な物を食っちゃ寝食っちゃ寝してしまうのは、故に人間味が強い証である。なにも恐れることも責めることもない。人間である証拠なのだ。自信を持っていこうではないか。だが健康は何よりも大事であることは忘れてはならない。よって明日は健康的な物を食べようではないか。そういっては甘美な物を食べているような気がして些か己が怖いのも事実である。

己の容量に余裕がない気がしている。お腹も心も。「空間には余白を」というらしいが、やはり己にも余裕という名の余白は必要であると感じる今日この頃。

胃腸も余裕をくれよと謳っていることだろう。

夏の暑さと雨のゲリラ。

今晩は。

台風が来ている。ずっと雨が降っていた。しとしと降る雨は、夏の終わりの少し寂しい気持ちになるような、そんななんとも言葉にしがたい感覚を味わえるため嫌いじゃあない。むしろあの雨の匂いが好きだったりする。だがゲリラ豪雨と言われる雨は、何かを感じ取る以前にまず「大丈夫か!?」と心配になる。何かを感じる余裕もない。雨でどこかの街が大変なことになっているかもしれないと思うと心が落ち着かない。

子どもの頃とは随分と環境が変わってしまった。「昔ってこんな暑かったっけ?」よく言うやつである。

暑くても走り回れるくらいには良き夏の暑さであったが、今は殺しにかかってくる暑さである。何かと気を抜くと病気になるような暑さだ。

この先もどんどんと環境は変わり、それに対応して生き物はずっと生きていくのだろう。「昔は良かった」そんな事を言いながらも、「今も良きかな」と思っては、「昔も良かった」とまた思い出すのだろう。そんな日々を重ねたい。

今を大事に生きていこう。

久しぶりに書いてみる。

今晩は。

えらく久しぶりにブログを書いてみようと思った次第である。

日々を生活することでいっぱいになり、ただ日々を消化するだけ時を過ごしていたようにも思う。その反面、今迄にない新しい時を過ごしていたようにも思うこの一年。最後のブログ更新から滑り込みで一年未満で更新している。

随分と文章を書かなくなった。其れを寂しく思っていた。やはり書くことが好きだと実感した今日この頃。やはりブログは良きかな!

パンケーキにある素直な甘さ。

今晩は。

今宵はどんな夜をお過ごしだろうか。

週末に大層なパンケーキを食したことで、甘さが脳天を突き抜け、幸せ笑顔になった後、甘さに酔い頭痛を起こすという大層贅沢な時間を過ごした。スイーツとは実に甘美なものである。

暫くパンケーキは遠慮願いたい程にパンケーキに満たされた。実に甘美なものである。

 

意地を張ったり、強がったり、天邪鬼な態度を取ってしまっては、はぁとため息を漏らすこともあるだろう。反省しては、再びため息にのまれて素直になれずに、意に反する事をしてしまっては反省して、ため息にnry(以下繰り返し)

素直が一番であると強く思う。

素直でいよう。そうすれば素直が素直を返してくれるのだ。素直な言霊をリターンしてもらおう。

まあそうは言ってもホルモンが邪魔してくることもある故に、人間の身体とは実に面白いのである。感情ではなく、ホルモンなのだ。私も貴方も何も悪くない。そう、ホルモンなのだ。

そう思うと少しだけ気が楽になる。そうして己と己の身体と己の感情と付き合っていこう。全部自分で全部自分じゃない。そんな気もしている。だから面白い。人間味が強い私である。あぁ、それが私だ。ええじゃあないか。そんな私もええじゃあないか、素敵やんと受け入れ、日々を過ごしている。

さぁ、連休が楽しみだ。明日も仕事をしよう。またブログを書こうと思い立ったそんな今宵の気持ちは如何に、明日も持続するだろうか?実に何とも言えぬが、取り敢えず一旦眠ることとする。それではおやすみなさい。

明日からはもう一度、素直な私で生きてゆく。

変わらない己でいること。

今晩は。

二月に更新した後、急に更新をしなくなった事さえも覚えていない程、ブログを書いていない。なんということだ。何故、更新しなくなったのであろうか。全くもって覚えていない。

昨年は実に充実した日々を過ごし、トータルすると心の底から人生楽しいーー!と思えた一年であった。今年も自分の人生は自分で楽しくできるんだを体現するように楽しく生きるぞと、鼻息荒く決意を胸に生きて来た、二月から約半年間。

毎日を楽しく生きていると神様は見ていてくれるらしい。予想だにしない縁と巡り合い、尚のこと充実した日々を過ごしている。

自由気ままに好き勝手をモットーに己の平和と充足を求めて生きているが、此れはこの先も変わることはないであろうし、変わってはいけないと思っている。変に変わったところで上手く行った試しがない!此れは実に遺憾なことである!

“自分らしく”という言葉が時には錘になることもあるが、いい意味での“自分らしさ”という自分を見失うことなく、これからも私は私のまま、私らしく実にゆっくりと成長しつつも人間味の強い私の変わらない部分も大事に抱きしめていこうじゃあないか。だって其れが私なのだから。

そんな風に今迄とは違う私だからこそ、縁を紡いでいけるのだと、向こう側で私がニヤリと笑う。

 

あぁ、ジブリの新作映画が観たいものである。

なんだかとってもいい感じ。

今晩は。

本日は、怠惰なる朝を迎え続けている朝から少しだけ早起きすることができ、そのおかけで早く出勤し早く退勤できるという働いている時間は同じだが何とも嬉しい得を感じ、早めにお風呂に浸かり、読書をしながら大好きな音楽を、違う場所に居ながら同じ時間に皆で聴いたら、そらもうルンルン気分で歌って布団にインである。

毛布を新調したら、もうそれはそれは気高く美しい毛並みのような滑らかさと気持ち良さに「ふわふわやん!」と意図せず声が漏れたのは、これ当然のことと言えよう。

総括すると、本日は大変良き日であった!と声高らかに申すとしよう。

やはり早起きは良いらしい。最近朝陽を浴びないためセロトニン不足が伺える故、無駄に窓際に立っては光合成をしているのだと主張している。

やはり早起きは良い。あぁ、いい日だ。ルンルン気分のまま眠りについてまた明日朝陽を浴びよう。

スタート音が鳴り響く。

今晩は。

二月になった。二月から二〇二三年が始まるのだと何処かで聞いたような、そんな噂は何処にもなかったような素振りも見せつつ、今年は今日から始まるのである。と我此処に宣言す。

一月の一ヶ月間を既に費やしている。充電期間と言えば聞こえはいいが、要はたらふく蓄えたのだ。様々なものを。

そうして漸く今年を始めてみようとエンジンをかけた次第である。一体今年も何処へ向かうのか、目的地不在の未開の地へと行こうではないか!と息巻き、寒い寒いと震える身体で布団に入り十日ぶりかのブログを書いている。

今年もやりたい事を全部しよう。その意気込みで好き勝手に自由気ままに己の人生を楽しきものにしていくのである。

今年、スタートです。

もう少ししたら。

今晩は。

久しぶりに空が気持ち良く晴れていたように思う。あまり外を見ていなかった。家の中で完結してしまう毎日を過ごして、なんとなく、その事に満足していた一週間であった。それも良きことだ。しかし、外の空気というものも必要で、緑も、陽の光も、新鮮な酸素を鼻から大きく吸い込み、走り回ることも、きっと大切だと感じている。

暫く予定がないために、のんびりしている。そうこうしている内に、楽しい楽しい時間を求めて今年も行くのだ。知らない場所へと行くきっかけとなる楽しい時間よ。早く来い。と恋焦がれている。そんな事を考えていると、胸のワクワクが止まってくれないのである。今年も相変わらずのスロースタート、いや、寧ろまだスタート地点に向かっている最中であろうか、スタートするには些か時間がかかりそうである。さて、もう少しのんびりと今年を始めていこうか。

やはり必要であったのだ。

今晩は。

本を読んで、やりたいことをしていたら、すっかりブログを更新することができなかった。というのはただの言い訳で、更新するより瞼を閉じることを優先したまでである。しかし、いかん。これはいかん。あかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあkryと一昨日辺りから、表現し難い灰色のモヤモヤとした記憶が“あかん”の文字と共に不愉快なリズムで頭の中をリフレイしていた。

身体の中が様々な情報と感情で目一杯だったのだろう。やはり文字で書き出すことは私にとって、とても重要なことだと知った。読んでばかり、行ってばかりでは栓も詰まる。吸収したら出力することも大切だ。アウトプットするというやつである。

大したことはないのに気持ち悪い不愉快さで、その事に気付かせてくれた謎の灰色の靄。そこから引き出してくれるように、大好きな音楽が導いてくれた。やはり文字も、音楽も、偉大だ。そして私には大層必要なモノである。

またブログを書こうと思い、黄昏た日。今日は気持ち良く眠れそうだ。

二十四時間を増やすより、自由に。

今晩は。

本を読んでいた。本を読んでいたらすっかり夜が来てしまい、ブログを書く間もなく満足に眠りへと落ちていった。よって数日ぶりの更新である。元気です。

やはり本って良いなぁと実感してしている。文庫本が好きだ。あの大きさが好きだ。本を読んでいると、他の読みたい本があれよあれよと出てきてしまう。つまるところ時間が足りない。本も読みたい、ブログも書きたい、アレもしたい、コレもやりたい、あ、ソレもしたい、とタイムオーバーにて夢の中へ。寝る時間を削るほかないであろうなぁ。

時間は平等である。二十四時間では足りない、短いとは思わないが、時間が足りぬ心当たりはある。簡単なことだ、勤めの時間が二十四時間を圧迫しているだけなのだ。正に、タイムイズマネーである。