▽ ブドウに緑、

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余裕でいつもの朝だった。

今晩は。

無理であった。

寝惚け眼でスマのホ画面を確認すると、既に六時が過ぎ去っていた。「あぁ、やはり無理だったか。」と再び暖かな布団へ逆戻り、いつもの時間までスヤスヤ眠りについた。

決勝と三位決定戦は観ると誓う。いや、観たい。生の時間で観たいから起きるしかないのだ。今更になっておもしろい!となっている、人より感度が遅いのは致し方ないことである。時差が少し憎いが、時差があるから世界を感じることもできる気がしている。

そんな朝を迎え、気合を入れてカレーを食べた夜。再び暖かな布団へと逆戻る。

バンズに挟まれた魅惑。

今晩は。

何故か今週は既にもう二回もハンバーガーを食している。あのアメリカンな食べ物は大層美味しく、大層腹が膨れる。驚くほど膨れる。昼に食べても翌朝までしっかり腹が膨れている。実に恐ろしい食べ物である。週に二回も食べているのだが、愛好しているグラコロは食していない。何故なのか、甚だ疑問である。

明日は早起きしてサッカーを観たいと思っている。思っているだけで起きる自信は皆目ない。寧ろ早起きしたいと随分前にブログにも書いていたが、あれから一度も早起きできた試しがない。何故なのか、甚だ疑問である。

不快感を隠さず真っ直ぐに。

今晩は。

胃に中に物が沢山残っていると眠れない事に漸く気付いた夜。寝不足と翌朝胃もたれに陥り、清々しい朝を迎えることは出来ぬ。ということを身を持って実感した。本日は非常に腹部がモワモワとした不快感を抱え、寝たような寝ていないような夜が続いて朝が来ない感覚を持ってして、日が昇っていた。

非常に気持ちが悪かった。胃が不快感を隠そうともせずに訴えてきた。いっそ吐い出してしまえば楽になれそうなものの、吐くに至るには時間が経ち過ぎて胃液が溶かしてくれているであろうなと、胃液の偉大なる強力さに気圧された。というか自力で吐くなど出来ないのは言うまでもない。誠に贅沢なことであるなと反省した。

本日は腹部からの不快感以外は、実に安穏とした一日であった。特別何もないが、其れが一番良いことなのではないかと思えるような、そんな日を明日も過ごそう。

末端以外は鈍感説。

今晩は。

ふと見ると指が切れていた。一体何処で切ったかは定かではない。

キムチ鍋を食べたら大層美味しかった。寒い季節になると毎日鍋でも差し障りない。寧ろ大歓迎である。鍋はもっぱら饂飩派であるが、キムチ鍋には拉麺も大層合う事を知り、鍋の楽しさが一つ増した。そんな晩御飯であった。

因みに〆に饂飩を入れる人もいるが、私は〆ではなく、常に入れている、寧ろ序盤に入れている。白菜や豆腐と同等の扱いを饂飩にしている。その為、〆は専らおじやである。雑炊とも言う。無限に食べることができるから鍋って怖くて美味しい冬の最高の食事である。

昨年と比較すると随分と暖かいように感じる。分厚いセーターが出番はまだかまだかと待っている。以前に向日葵が咲いたというニュースを見て一驚したことを思い出した。

冬将軍はいつ来日されるのか。出不症な故に冬に気付いていないだけの鈍感野郎になっているのか、些か不明ではあるが、相も変わらず末端はアイスクリーム的温度を抱えて真冬が滞在している。

小麦粉の塊たちの季節。

今晩は。

今日は書きたいことがお昼に思い浮かんで「よし、これを書こう。」と意気込んでいたのに、すっかりブログを書く時間が取れず今書き出せば、いやはや一体私は何を書こうとしていたのやら。皆目思い出せない。

今日も今日とて炬燵から動くことなく黙々と冒険へ出かける有意義な休日を過ごし、大変幸せである。そしてお昼に林檎半分を丸齧りした。豪快に齧りついていい気分であった。蜜が溢れ出し、大層美味な林檎であった。明日も是非そのまま皮ごと丸齧りしたい所存である。

シンプルなものを美味しく感じるようになり、自然のままのものを積極的に食べたいと思う様になった気がする。とは言いつつ、お菓子は食べるし、関西だししょうゆがマイブームで、グラコロが大好きであるから、やっぱり其れは気のせいなのかもしれない。

毎年五つは食べるグラコロを、まだ今年は一つも食べてはいない。早く、早くと欲してる証拠に昨夜“グラコロを買いに行く”、そんな事を夢に見た。結局、夢では買えず食べることは叶わなかった。だから現実世界で確と食すこととする。もう少し待っていておくれ、愛するグラコロよ。

そのままでいいのだ。

今晩は。

今日は映画館でライブビューイングを観てきた。素晴らしい音楽が染み渡ったところで、このまま良き年末を迎えられそうである。

生に勝るものはないと思う反面、映像の素晴らしさも感じることができた。もう少し鮮明に現場そのものを映像で観たいという風な思いもあったが、それはそれとして、ただただ素晴らしい音楽であった。良き音楽に小細工は不要であるなぁと思う気持ちも嘘偽りなくここに記しておくことにする。

見れぬ日記本を冀求する。

今晩は。

そういえば「はてなブログの日記本」の掲載されると以前連絡が来ていた。この上なく嬉しいことである。是非にニヤニヤ顔で日記本を手に取りたかったのだが、いかんせん距離の問題で行くことができず、悔し涙を飲み込めずシクシクとしている。お近くにお住まいの方は足を運び様々な人の日常に触れてみては如何だろうか。と一丁前に宣伝をしてみる。我の日記も良んでいただけると、これ幸いである。

 

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本日も関西だししょうゆを味わい満満足している。一度ズバんと来ると、暫くの間同じ物をひたすら欲する習性がある。そして食べ過ぎて飽きるということを幼少期から幾度となく繰り返している。年を重ねた今でも、未だ同一に繰り返しているのである。「そういうもんだ私は。」と随分と前に受け入れ、今日も今日とて私のまま生きている。明日もきっとそのままであろう。ええじゃあないか。

しかし、そんな事を言ってはいても、気付けば棚から関西だししょうゆは無くなってしまうものなのだ。買いに行かねばならぬと思っている辺り、まだまだサーモンピンク的パッケージへの熱は、冷めそうもない。

サーモンピンク的チップス。

今晩は。

大好きなグラタンを食べた。大層美味しかったが、舌全面を火傷した。ヒリヒリとザラザラが同居していて口の中が可笑しな事になっている。

そういえば急に“関西だししょうゆ”のポテトチップスを猛烈に食べたくなり、昨日から三袋程食べている。“関西だししょうゆ”はその名の通り関西にしか売っていないのだろうか。常に上位に入るかと言われるとそうでもないが、しかし無くてはならない様に、ふとした時に食べたくなる。そして食べるとやはり美味いのだ。そうなると暫くの間“関西だししょうゆ”ばかりを食べてしまう現象に陥る。

関西に来たら是非“関西だししょうゆ”と「551の蓬莱」は買って行ってほしいものである。

今日ポテトチップスを二袋食べた代償が頭痛として表れている。欲張る物ではないなと、いつもの如く反省し、明日から健康的に過ごす事をここに誓おう。

爆発物処理班を呼べ。

今晩は。

昨夜ブログを書いていた記憶はあるが、公開ボタンを押したかどうかの記憶は皆目ない。無事に押せていたようで安心した。

眠気の大波が押し寄せていたが、いざ布団に入ると眼がバッキバキに冴えてしまう厄介症に悩まされる事もなく、昨夜は直ぐに熟睡した。覚める事なく、朝方まで睡眠の中にいた。久しぶりに深く眠れた気がする。その代償としてなんだか身体が重く、しんどい気もするが、うん、きっと気のせいであろう。

胃と腸が爆発しそうである。そのくらい負担をかけてしまっている。毎度のことながら申し訳ないと心の中で小さく射する。そもそも学生時代から胃腸が弱い山根くんなのである。それなのに、こんな負担をかけて!と別の私が私を譴責する。ひぇーと怯えつつ、もぐもぐ大学芋を食べたのである。反省の色なしと見えているかもしれないが、しかと反省している。これが私である。本日も良き日だ。

瞼閉店。

今晩は。

昨夜はサッカーの情報が気になり、観戦はしていなかったがちょくちょく起きては試合状況を調べ、そして寝て、を何周回かしていたら朝日が昇っていた。故に過激なまでに大層眠い。

お風呂に入り、しゃんとパジャマを着て、規則正しく布団に入らなければ寝ない習性を持っている。机や炬燵で寝落ちして朝を迎える事はない。そんな我でも思わず入浴中に寝落ちてしまいそうになったから驚きである。

今ももう瞼を半分下している。この微睡の中を巡っている時間は、眠りへの期待が最大限膨らんでいる証拠のようなものの為、不眠症がちな我にとっては欣快の至りである。

と、書いている途中で眠っていた。ここは夢か、現実か。瞬時に判断ができない程度に昨夜は良き日で本日は眠い。早く布団へ行かねばならぬ。その為、本日閉店ガラガラとす。

細胞丸ごとうるすべ。

今晩は。

今宵は良き日を、良き夜を過ごしている。お肌だけでなく、日々の生活で乾燥砂漠になっている芯の部分も潤っていく。全身うるすべである。大層満足気な顔で今布団に大の字で寝転がりながらブログを書いている。実に良き月曜日、こんな月曜日が毎週やって来てくれるのなら大歓迎である。

ただ己の怠惰なる身体を目にして思わず苦笑をもらす。長い間、引き締まったbodyへの宿望を懐いている。果たして遂げる日はいつになるのやら。そんなことを毎日考えているような気がすると気付いても、本当に良き夜である。

さぁ、寝る前にもうひとっ風呂行きますか。

 

危ない師走に注意せよ。

今晩は。

外出してみたらすっかり冬が来ていた。こりゃ末端も凍える訳だ。

街に出てブラブラと歩いてみたら物欲が激しく刺激され、熟考すると不要となる物を危うく一瞬の感情で購入してしまいそうになった。師走の雰囲気は非常に危うい、気を付けねばならない。しかし、本当に求めていた物は売っていなかった。いやはや、すれ違うものである。縁がなかったと諦める事とした。

毎年この時期になるとクリスマスのお祭り騒ぎを肌で感じていたのだが、そういえば今日は緑と赤とシャンシャンシャンという音は見なかった。いや、まだ早いだろうよ。とお思いの人もいるかも知れないが、近年クリスマスは十一月にはやって来ていたという私調べ体感がある。適切な時期へと元に戻ったのなら良かった。クリスマスを味わうには些か早過ぎる気がしていた。

サンタクロースは随分と前に訪れなくなった。誰かのサンタクロースに成るべくまで年を重ねた。まだ誰かのサンタクロースにはなっていないが、我の所にもまだまだ来ていいぞよ。と本物のサンタクロースに懇願したいものである。今年もいい子にしていたぞ?

特別な緑の四本足の種。

今晩は。

もう冬ガチ勢のコートは着ているか。外の気温未だ分からず。本格的な冬の到来を感じているこの頃、相も変わらず部屋が寒い。お風呂に入っても寝る前にもう一度湯につかりたい。

子供の頃にゲームセンターで取ったぬいぐるみや、買ったぬいぐるみを今でも大切に残しているのを見て、これが言葉の通り「大切にしていて物持ちが良い」という出来事に出会った。

可愛いという一瞬の感情で手に入れたとしても、飾らない、ほったらかし、ではぬいぐるみも物も些か気の毒であろう。寧ろ、満足気に飾って汚れる方が天寿を全うしているのではないか。そう思うと、クローゼットにいるぬいぐるみ達に申し訳ない気持ちになった。言い訳をすると、私は飾らず、兎に角綺麗な新品のまま保存しておきたいタイプなのである。許しておくれ。

本当の意味で大切にできないのであれば、もうぬいぐるみは買わないでおこう。随分と前に“我慢する”を私は覚えている。我の大好きなフシギダネを除いて。

末端の宿るアイスクリーム。

今晩は。

本格的に末端が氷になってきた。冷た過ぎる。芯から冷え切っている。それでも毎日アイスクリームをmustで食す。何故ならアイスクリームが好きだからである。凍えながら食す合間も、やはり美味いのである。

漸く長かった一週間を終え、週末がやって来る。きっと週末も終日冒険に出ていることであろう。有意義な時を過ごし、凍えながらアイスクリームを食すという変わらぬ一日を過ごしていることは想像するに容易い。

明日も天気になーれと靴飛ばしがしたい気分だ。

小学生の頃は無邪気で楽しい。大人になった今も、単純な感情で無邪気に毎日を楽しみたいものである。

笑顔でウェルカム。

今晩は。

冒険をしている。昨夜はお菓子を連れにし冒険に出ていたが、どうだろうか、今現在まで胃もたれがしている。大変嘆かわしいことである。

今週は実に平穏な日々を過ごしている故にか、あっという間の一週間が大層長く感じている。感覚的にはもう二回は週末が来ていてもおかしくない程度には長く感じている。

十二月がやって来た。待ち遠しかったぞ、と私は笑顔で迎え入れた。何故だろう、十二月が来ると胸が躍り出し、気付けば身体も踊り出してしまうようではないか。それ程までにウキウキとワクワクが共鳴し、気持ちが高揚する。

今年が終わることへの充足感と少しの物悲しさ、新年への根拠なき謎の期待と変わらぬ毎日の安心感とが混ざり合い、ぐちゃぐちゃがぐちゃして、最終的にはミックスジュースと姿を変え、目の前に差し出される。それは大層美味しいのである。だから嬉々として十二月をウェルカムするのだ。更にぐちゃぐちゃをぐちゃする為に。最後の一押しというべきか。今年最後というこの一ヶ月を悪足掻きするように充実という言葉に合う行動を持ってして、満たしていく。