悲しきことか、愛おしきことか。
今晩は。
「明日からはもう何も食べまい!一旦胃をリセットする為に明日は断食をするぞ!断固として固形物は口に含むまい!!」
そう誓いを立てた昨日の私のことなんかすっかり忘れ、結局たらふく、美味しく食べている今日の私がいるようだ。大層美味しく大層満足はしているが、胃が重苦しいことだけが昨日の私を思い出させてくれる。
いとも簡単に誓いを忘れ、もしゃもしゃと食べ続け、怠惰した身体になろうとする私に辟易することが近頃多い。しかし、それも私。それが私。この体たらくなのが私である。
実に愛おしいではないか。
もう食べまいと思った次の瞬間には食べており、運動するぞと思った瞬間に座り込み、掃除をしようと思った瞬間に散らかす。
実に人間味が強い。その勇ましさをも感じる強い人間味に、いっそ愛おしさを感じるようになってきた。
あぁ、これが私であるなぁ〜としみじみ思うのである。
“体たらくな私”とは、皆が持っているものだと思っている。そうであろう。そうであろう?
“体たらくな私”とはきっと愛おしいものだと思うのだ。だから”体たらくな私“に落ち込む必要などないのだ。「人間らしいな〜ははは」と笑ってしまえばいいじゃあないか。
「実に今日も人間らしかった!!流石は私である‼︎」と入浴中、もしくは寝る寸前の布団の中で私はそう思っている。
この入浴中と寝る前の行為こそが、なんたる体たらくへと勧奨しているに違いないことはお分かりいただけただろうか。
要するにただの言い訳である。
そうして成長する機会を逃し、私は明日も体たらくに人間らしく生きるのである。
はははと笑いながらも、反省を活かし改善し成長していける人間こそが、本当の人なのかもしれないと思うと少し悲しくなった。私だってそんな人になりたい。本当になりたい。
と思っている。実に思っているだけである。やはり人間味の愛おしさは憎めまい。
”体たらくな私“は愛おしいが、そろそろ“ストイックな私”も恋しいので、明日は運動することをここに誓おう。然らば。
…布団の中で私が私を人間らしいぞと励ましている様子が容易に想像できる。
悲しきことか、愛おしきことか。その判断はまた明日の私に託すとしよう。