▽ ブドウに緑、

ワードプレスへお引越ししました!こちらへhttps://fushitto.com 

消えた緑と軋轢。

今晩は。

何故にシチューは寒い時期の食べ物なのだろうか。私は甚暑でもシチューが食べたい。本日は些かシチューを食べ過ぎたかもしれない。因みにコーン風味のシチューが特に好きだ。

虫のブーンという羽根を震わす音が苦手である。幼き頃は田舎だったこともあり虫取りをしに、山川田んぼ、竹藪で遊んでいた。攻撃してくる虫以外は素手で掴む事ができた。カマキリは釜という恐ろしい武器がある故に中々触れなかったが、それでも首根っこを掴んで顔を覗き込んでいたように記憶している。

いつからだろうか、虫が苦手になってしまったのは。それは忘れもしない小学生の頃。虫取りに行かなくなり、虫と触れ合う時間が無くなった。近くの竹藪は住宅街になった。山道も削られ、家が建ち、道が舗装された。気付いた時には花壇にいた小さなダンゴムシに悲鳴を上げていた。それから虫が苦手になった。その事実に驚倒したことを今もはっきりと覚えている。

触れ合う時間が減ると、こうも変わってしまうものなのか。と、幼いながらに思った。関わる時間は極めて重要なのだと学んだ。

虫が嫌いな人も多いであろう、私もだ。しかし、カモメ程の大きさのトンボが空を飛んでいた時代があったらしいと高校生の頃に知り、実にロマンがあると胸が踊った。恐らく虫が人間並の大きさになれば虫の方が強いだろうと当時から思っていた。虫は嫌いだが、それと同時に優等だとも思っている。所詮人間は、“他より少しばかし大きい”というだけで世界を征服出来た気になっているだけではないか。そんなことを一考すると、虫巨大時代にロマンを感じるのである。

カモメと同一サイズのトンボとな。容易に戦慄し気絶する自信がある。だから昔のように仲良くなりたいのだ。如何にも優しくして恩を売っておきたい、という陰険な考えであることは既に露呈しているであろう。

あの頃から虫と仲良くなれていない。仲良くなりたいと長い間そう思い続けている。しかし、出所不明の恐怖心と共にキンチョールを常備している私は、きっと罪深き哀れな生き物なのだろう。虫と仲が良い人への羨望が止まらない。

竹藪とシチューの話は、一体何処へ行ってしまったのだろうか。